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2010年 01月 15日
クリスマスプレゼントにもらったユングの『赤の書』を読んでいる。
「ドイツ語で書かれたものを英語で読む意味は何だろう?」と思ったのだが、 やってみるとそれなりにおもしろい。 たとえば、次の文章を英語で読む。 “My soul, where are you? Do you hear me? I speak, I call you – are you there? I have returned, I am here again. I have shaken the dust of all the lands from my feet, and I have come to you, I am with you. After long years of long wandering, I have come to you again. Should I tell you everything I have seen, experienced, and drunk in? Or do you not want to hear about all the noise of life and the world?" 英語でこれを読む時のわたしの感覚は、次のような日本語に近い。 「どこだ?僕の魂。聞こえる? 呼んでいるのは僕だよ。そこに居るの?帰って来た、戻って来たよ。 あっちこっちでついたほこりまみれの足を洗って、 君のところに来た。君のそばにいる。 長いことほっつき歩いて、また君のところに戻って来たんだ。 僕の見たこと、したこと、飲み込んだことを、みんな聞きたい? それとも人の世の雑音は聞きたくない?」 放蕩者がほったらかした恋人の家に戻って来て、 姿を見せない恋人に呼びかけているような感じだ。 キリスト教の聖書にある「放蕩息子の帰還」のイメージを重ねると、 次のような文体でも読める。 「わたしの魂よ、どこにおられるのか。わたしの声が聞こえるでしょうか。 わたしはあなたに話しかけ、あなたを呼んでいます。 わたしは戻ってきました。ふたたびここにいます。 あらゆる土地の埃を足から振るい落とし、 わたしはあなたのところに来ました。わたしはあなたと共にあります。 長年の彷徨ののちに、またあなたのところに戻って来ました。 わたしが見たこと、体験したこと、飲み込んだことを、 あなたにすべて話すべきでしょうか? それとも、人生と世界の雑音は、耳にされたくないでしょうか?」 しかし、これを日本語の本のために翻訳するなら、 次のような文体になるだろう。 「わたしの魂、おまえはどこにいる?わたしの声が聞こえるか? わたしはおまえに話しかけ、呼びかけている。 おまえはそこにいるのか?わたしは戻って来た。再びここに居る。 足についたあらゆる土地の塵を払い、おまえのところにやって来た。 おまえと一緒にいる。長年の彷徨の後で、またおまえの元にやって来た。 わたしの見たこと、体験したこと、飲み込んだことをすべて話そうか? それとも人の世の雑音は聞きたくないか?」 格調は高くなるけれど、不在領主の帰還のようで、偉そうだ。 文が語っている内容を思うと、わたしの生身の実感には、 不実な恋人の呼ばわりと、放蕩息子の帰還の双方が同等に共鳴する。 不在領主の帰還の響きは最も遠いのだが、 恋人への呼びかけと畏れ敬う相手への語りかけの、 両者を兼ねる日本語の文体が思いつかない。 この部分の原文の二人称代名詞は、 距離のある関係の “Sie” ではなく、 親しい間柄で使う “Du”になっている。 ドイツ語の聖書も、神への呼びかけを"Du"でおこなう。 ユングの原文が、ドイツ語母語のひとにどう響くのかはわからないが、 恋人と神への語りかけに、同一の言葉を使うかどうかは、 英語・ドイツ語と、現代日本語の、おおきな違いだと感じる。 赤い実。ピラカンサ。
by pippinrose
| 2010-01-15 12:40
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