by pippinrose
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2010年 02月 05日
この本の中でわたしが最も気持ちを引かれたエピソードは、つぎのようなもの。
英国公使館襲撃事件(1861年)などもあった年、 夜襲の心配を持ちながらも神奈川の寺に通訳とふたり寄宿して、 植物を収集・整理していたフォーチュンの前に、二本差しが現れる。 一瞬、襲われるのかと思うが、それは神奈川奉行所の役人たちで、 浪士の侵入を防ぐために垣根の修理や裏口の封鎖をするという。 穴がふさがれても襲撃する者はするだろうと思いながらも、 自分のために足を運んでくれた奉行に、フォーチュンは礼を言う。 そして問われるままに自分の来日目的である収集物を見せる。 すると、奉行所から来た役人のひとりが、 「同様の研究に従事したシーボルト博士を知っている」と言うのだ。(p.283) 神奈川奉行所の役人が、シーボルトの活動を知っている。 彼はどの程度「知っていた」のだろうか。 幕末の役人としてはある程度常識だったのか。 もしそうなら、どのようにして情報は伝わるのだろう。 役所の情報網か、個人的な伝達か、瓦版か、著作を見るのか。 想像はふくらむが、回答はここにはない。 関心を持っているといずれ、応えてくれる情報に接するかもしれない。 * * * * フォーチュン自身、初回の来日時にシーボルトと会っている。 その際、シーボルトは言う。 「わたしは日本人が好きだ。そしてお互いに尊敬している」 「自分は長崎や出島の役人のように、腰に凶器を帯びる必要はない」(p.38) しかしシーボルトと会った三年後、フォーチュンは次のように書く。 「日本の未来は暗黒に包まれている。 この幸福で平和な日本の国が、世界列強の仲間入りをする代償として、 遠からず、心配されている戦争や、それに付随するあらゆる惨害は 避けられないだろう。」(p.247) 彼の予測した通りの形ではなかったにせよ、 歴史は結局その通りの方向に進んでしまった。 落椿。 ロバート・フォーチュン(Robert Fortune) 1812-80年 スコットランド出身・英国人。 エディンバラの王立植物園勤務の後、 ロンドン園芸協会から中国の植物の収集のために派遣される。 自分はある程度「中国の商品を扱う商人」だが、 「それがすべてではない」と、彼は考えていたとのこと。 名を冠する薔薇、 フォーチュンズ・ダブル・イエロー、フォーチュンズ・ファイブ・カラーは、 彼が中国で園芸種を買ったもの。 『幕末日本探訪記』の原書 “Yedo and Peking”は、1863年に出版された。
by pippinrose
| 2010-02-05 10:44
| 活字
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Comments(4)
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Junko
at 2010-02-05 17:43
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ぴぴんさん、こんにちは。
ロバート・フォーチュンなる人物、初めて知りました。面白そうな本ですね。早速注文してみます。
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plum
at 2010-02-05 21:21
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ぴぴんさん、こんばんは。
「シーボルト日記―再来日時の幕末見聞記」という本を以前に借りて読んだのですが、 シーボルトは1861年にしばらくのあいだ横浜に滞在していて、 江戸に入るためにしばらく待機していたようです。 その時にポリアンサというバラを手に入れたようなことが日記に書かれていて私はそれが気になりましたが、それ以上わかりませんでした。 その時期はフォーチュンよりちょっと前だったのかもしれませんね。 だから、神奈川奉行所の役人はシーボルトを直接知っていたのではないかと思いました。 シーボルトは横浜でもせっせと植物採集していたようです。 フォーチュンも同じような時期だったのですね、知りませんでした。
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ぴぴん
at 2010-02-06 08:11
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Junkoさん 幕末の来日外国人としては、
シーボルトやアーネスト・サトウに比べると、マイナーですね。 wikipediaなど見ると、「茶の木をインドに移植した」ところが、 最大の功績となっているようです。 日本見聞よりも、それに先立った清国訪問が面白そうなんですが、 翻訳が出てないので、今はちょっと、手が出ません...
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ぴぴん
at 2010-02-06 08:29
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plumさん ああ! ブログにアップしてみるものですね!
シーボルトも横浜に居たのなら、役人が知っていて不思議はないですね。 教えてくださり、ありがとうございました。 フォーチュンが神奈川奉行の役人の訪問を受けたのは、 1861年梅雨明け七月とあります。 シーボルトが居た話はこちらには出て来ず。 彼らは横浜では会う機会がなかったんでしょうね。 プラントハンターの世界が思った以上に面白く、 『プラントハンター東洋を駆ける』というのも読むことにしました。 (もしかすると、植物学者のものよりわたしには面白いかも。) その本に薔薇の話が出ていたら、記事にすることにします。
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