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2011年 05月 13日
震災と原発事故の後に、植物の話が虚しくなった。
自然の無慈悲な暴力と、人間の傲慢な営みの結果を前に、 うちのベランダの植物の話が何だと言うのか。 「明日世界が終わるなら、今日わたしは一本の林檎を植える」と、 ドイツの格言を唱えてみても、 この林檎がわたしのベランダの植物と同じものとは思えない。 格言の林檎は己が全存在をかけた祈りだが、 ベランダの植物は自分の楽しみにすぎない。 震災から二ヶ月を前に、 薔薇をご縁にやりとりが続いている、 熊本のKさんから贈り物が届いた。 熊本の陶芸家・西田美紀さんの手による陶人形だった。 事前にくださったメールでKさんは、 その人形はわたしが交配した薔薇 「リーポズ・カップ」(李白の盃)のイメージだと言われた。 Kさんが心の内に「りーぽ」のイメージを宿しておられ、 陶人形がそのイメージを呼び起こしたというのがおもしろく、 それをわたしに渡してくださるというのがうれしかった。 荷解きしての第一印象は「桃源郷のこども」。 くしくも 「りーぽ」一番花の開花日であり、 記念撮影をすべくベランダにつれて行った。 「こども」が座る桃の色と一番花の花色が一緒だった。 あぁ、ほんとうに、ぴったりだ、と思いながら、 「ベランダの植物は自分の楽しみにすぎない」と思い定めた 自分の心の固さがゆらぎほどけるのを感じた。 わたしの薔薇は、少なくともわたしを励ましている。 Kさんの心にとまり、西田さんの陶人形につなげてもくれた。 もしもわたしが本当に、苦難にさらされている方たちのことを思うなら、 そうして得た元気や勇気を、かれらのために使うことだ。 個人の営みは、 他者の中で意味あるものに変容することで、 初めて自己満足から脱する。 祈りの林檎もまた、 他者の存在があって植えられるのだろう。 この場合の「他者」は「神」であるのかもしれないが。 ベランダの薔薇は今年も美しく見えるが、 これまでのような純粋な喜びにならない。 植物の話の虚しさは今もまだわたしの中に残っている。 この虚しさは復興に伴って薄らぐだろうと思うが、 完全には消えないのかもしれない。 しかしどこかで、これは残るのがいいのだという気持ちもある。 この経験を経た自分が、単純に以前の自分に戻らないためにも。 この陶人形を世に送り出してくださった西田さんと、 うちに贈ってくださったKさんに感謝をこめて、 「桃の子」「りーぽ人形」「桃源郷のこども」に名前をつけた。 「桃祜」(とうこ)。 「祜」の字は「福」の意。音だけ聞くと「陶子」にも。 「陶人形作家にしだみき」:西田さんのサイト 「ギャラリー楓」 :Kさんのご家族の会社が運営するギャラリー
by pippinrose
| 2011-05-13 09:16
| 震災
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Comments(4)
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クミン
at 2011-05-13 15:21
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ぴぴんさん、素敵な記事と写真をありがとう!
ちょっと泣けました(笑)。 遠く離れた九州に居る者が震災や原発に対して言葉にしてしまうと白々しくなってしまうのが嫌で(こわくて)口をつぐんでいた自分ですが、バラのご縁でのお友達であるぴぴんさんや仕事で関わった作家さんの作品を通して、今度の問題に対する自分の存在意義を確認できたようで、何もできていないという罪の意識がふっと楽になりました。 詳しい事はメールで送りました~^^。 この小さくてささやかな陶人形をぴぴんさんが気に入ってくださった事が嬉しいです。 桃祜って名前も素敵よね~♪ それに、ギャラリーも紹介頂き、ありがとうございます。 ふふふ・・・、今回の企画はしびれますよ!
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ぴぴん
at 2011-05-14 13:00
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クミンさん 「白々しくなってしまうのが嫌で(こわくて)口をつぐんで」
しまう心境におちいるというのは、 遠距離にある方の「被災」の姿のひとつかと思います。 何もできていないという罪悪感や、何もできないという無力感は、 わたしの中に今も色濃くあります。 それに負けて沈み込んだり、ヤケになったり、「ないこと」にせず、 かつ日常を取り戻そうと、闘っています。 「とーこちゃん」は、その闘いの応援者になってくれました。 ありがとうございました。 ギャラリー楓の五月の企画展では、 この震災と事故に由来するお作も展示されているとのこと。 ギャラリーが分かち合いの場になり、 前線に居る方たちへの、何らかの形での力づけにつながりますように...
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harukob1 at 2011-05-15 16:46
>個人の営みは
他者の中で意味あるものに変容することで はじめて自己満足から脱することができる 、、、とってもよく言い当てていらっしゃいます。 他者が神である場合、自分は神の使い、巫女ですね。 とうこちゃん、いい名前ですね。 リーポの傍で薄いピンクのグラデーションが綺麗です、、
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ぴぴん
at 2011-05-16 09:46
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はるこさん >個人の営みは
他者の中で意味あるものに変容することで はじめて自己満足から脱することができる 家族にご飯をつくることから、「作品」といわれるようなものまで、 そうであるように思います。 他者が神である場合も、向かい合う自分は必ずしも、 神官や巫女はではないように、わたしは思っています。 「南無阿弥陀仏」、専修念仏の浄土宗のように。 とうこ。花が咲き果実の実る、福を思いつつ。
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