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2016年 09月 03日
1874(M7)年に鶴岡県(後に山形に合併)の県令として赴任した、 旧薩摩藩士三島通庸(みちつね)は、後年、警視総監になった人で、 鶴岡では農民蜂起を制圧し、山形・福島・栃木の県令時代は 建物や道路を多数作り「土木県令」「鬼県令」と言われた。 「済生館」も三島の旗ふりで作られ、 オーストリアから来日して医学を教えていた アルブレヒト・フォン・ローレツが招聘される。 1880(M13)年。ローレツは34歳だった。 ローレツは医学・医療を伝え病院改革案など出すが 三島が福島に転じると立場が弱くなり、 2年間の契約が切れると共に帰国。 翌84年に亡くなっている。 イザベラ・バードは完成前にここを訪れて、 建物の換気が良いとの感想を記している。
by pippinrose
| 2016-09-03 09:27
| 視覚
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