by pippinrose カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 最新のコメント
記事ランキング
ブログパーツ
|
2007年 03月 02日
昨日に引き続き、『千の風』の話。
英語でもさまざまなヴァリエーションがあるようだが、 それが「風の詩」ではないことは確かだ。 風・雪・陽光・雨・鳥・星と、空につながるイメージが、連なるところに力がある。 土に向かってうつむき泣くのではなく、 頭を上げ、世界に目を向けるようにと、励まされるようだ。 英語版を朗読すると、weep/sleep, thousand/diamond, winds/glints, blow/snow, … と、音が良く響き合う。 Do not stand at my grave and weep I am not there, I do not sleep I am a thousand winds that blow I am the diamond glints on snow I am the golden sunlight on ripened grain I am the gentle autumn rain When you awaken in the morning hush I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight I am the soft stars that shine at night Do not stand at my grave and cry I am not there: I do not die つれあいは 「 “the diamond glints on snow”でなくて “the diamonds glint on snow”の方がいいと思う」と、言っていた。 確かに後者では、音律は崩れるが、たくさんのきらめきが見える。 こうして、いろいろな版が生まれるのだろう。 朗読に向いた英語版を意識しつつ、自分が口唱するための訳を作ってみた。 わたしの墓の前に立って 泣かないでください わたしはそこにはいません 眠ってはいません わたしは吹き抜ける千の風 わたしは積もった雪の ダイヤモンドの煌めき わたしは熟した穀物の 黄金色の陽の光 わたしは穏やかな秋の雨 朝 静寂の中にあなたが目覚めたら わたしは すっと高揚する 静かな鳥たちの旋回 夜 わたしは柔らかく光る星 わたしの墓の前に立って泣かないでください わたしはそこにはいません。死んではいません。 (ぴぴん訳) ここにも「わたし」が。
by pippinrose
| 2007-03-02 08:16
| 聴覚
|
Comments(14)
『千の風になって』という曲自体ぜんぜん聞いた事がないので(何しろ情報に疎くて…)昨日のブログも読み逃げさせていただいたのですが・・・今日のぴぴんさんの訳はとても素敵です。
特にすきなのは2節目(と言っていいのかな?)と、それに続く鳥や星のくだり・・・ いつも自然の中を歩いていて朝露や霜の降りた草のきらめきなどに感動している私にはとても響いてきます。 その感動をカメラにおさめたいのですが、実物の美しさの100分の1ほども写せない腕の未熟さをいつも呪っています。 ぴぴんさんでしたらきっとそれを“詩”という形で表してくれるのでしょうね。 私は一人立ち止まってほぉっ。感動して終わり・・・残念です。
本当に美しい詩。読んでいるだけで胸がいっぱいになります。
声を出して読むと、神様が言葉の一つ一つにつきそって、世界に広げていってくれるような気がします。改めて思い出させてくださったぴぴんさんに感謝です。 訳も写真もすばらしいですね。全部が"serene"という言葉を感じさせてくれます。良い一日を過ごせそう。ありがとう。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-02 13:57
x
misaoさん 新井版。CD店頭や駅地下街で、音を流して平積みで売ってるのです。日本語のイントネーションと無関係な節回しが嫌なんですが、一度聞くと耳に残ってしまいます。
実物の美しさを撮る写真も詩も、わたしにとって、はるか向こうの存在です。 感動はそのひとそのひとのもので、同じ感動を分ちあうということは、あまり無いのが自然だという気もします。 得たものがどう自分の言動に反映して行くかで、結果として他に広がってゆくのが、本分ではないかなと。 写真や文章で、感動そのものを伝えたくなるのは、わがままの一種ではないかと思います。 このブログも、そういうもののひとつだと思いつつ。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-02 13:59
x
せんさん ご存知でしたか、この詩。
人間業を越える死に直面した時、自然界に心を委ね抱えてもらうのは、叡智であり、 恵みだと思います。 "serene" 辞書で調べました。 「(天体の)晴朗な」「(水面などの)穏やかな」「(心・生活の)平静な」 「王侯の尊称・セレン」 なるほど。この詩は「愛する者を喪ったひとに"serene"を送る詩」ですね。
Commented
by
kyara-mama
at 2007-03-02 21:46
x
初めてこの詩を読んだ時とき
"the golden sunlight ..." の行では、「グラディエーター」のエンディング(ラッセルクロウが麦の穂を手でなでながら歩いていくシーン)のような景色が、 ”quiet birds in circled flight" では、さぁっと上昇し、旋回する鳥達の姿が浮かんできましたが、 私もそれが『千の風になって』と同じものとは気づきませんでした。 一音符一音が基本の日本語では、この内容全部を歌ったらインパクトに欠けるのでしょうね。 日本語訳ではない、日本語版のこの歌がこれだけ受け入れられたのは、そのあたりのことを熟慮した作詞者の力量にによるのでしょう。 『千の風になって』は、歌そのものより、それを涙して歌う人たちの方に同調してしまい、胃がズド~ンと重くなってしまうので、実を言うとあまり聴きたくありません。 でも、原文(とぴぴんさんの訳)の方は、おっしゃるとおり、自然に心や命を委ねて救われる感じがしますので、何度でも口ずさみたくなります。 本当に素敵な詩です。
Commented
by
すみごん
at 2007-03-02 22:32
x
こんばんは!
この詩(詞?)については、恥ずかしながらほとんど知りませんでした。 ぴぴんさんが訳していらっしゃるのを読んで、自分でもやってみたくなり 実に28年ぶりに翻訳めいたことをやってみましたが・・・ 難しいですね。とくに I am the swift uplifting rush Of quiet birds in circled flight あたりが。 こちらに書くには長過ぎたので、日記に書きました。 間違いがあったら、ご教授のほどよろしくお願いします。 また、日記冒頭でこちらをリンクさせていただきました。 事後報告で申し訳ありません。
Commented
by
potato
at 2007-03-02 22:32
x
こんばんは
私も紅白は見てなくて、何やらいつもと違った歌がはやってるな~と後から気がつきました。 最初は秋川雅史の歌い方が気に入らなかったのですが、最近は慣れてしまってその歌詞に感動していました。 http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-1519.html 秋川雅史、紅白バージョン それでどこから出た詩なのかを調べようと思っていろいろ検索してみました。 この詩そのものは日本でも知る人は知っていたらしいのですが、2003年に新井満氏が訳詞・作曲。 その経緯についてはここで知ることが出来ます。 http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/1000wind/1000wind.html 2003年に朝日新聞の「天声人語」というコラムがこの詩を紹介したことが日本でもこの詩がしられるきっかけになったようです。 http://www.asahi-net.or.jp/~cb9s-jyuk/1000kaze.html これはぴぴんさんの訳に近いですね。最後の一行がどこから出て来たのか不明ですけど。
Commented
by
potato
at 2007-03-02 22:33
x
つづきです(^^;
その点、新井満氏の訳はかなりイメージの違うものになりました。 それはひとつの詩を分断して一番と二番にしてしまったからです。 そして新井満氏の曲は「千の風」が出てくる一番がすべてと言えるかもしれません。 したがって二番は字余り状態になってかなり端折った訳になってしまいました。 二番は歌としてはかなり無理がありますね。 ここで原詩のよさが半減したかもしれませんね。 でも私はこの歌が好きですよ。素直に心に染み入ってくるものがあると思います。 訳詩としてはぴぴんさんの訳の方が数倍いいと思います。 長くなってすいません。
ぴぴんさん、
そうですね、ぴぴんさんの様に読んで知っている、というのではないですが、何となくどこどこかかしらで何回か目にしていて詩としてというより、その内容で覚えていました。NYの911の一年目のメモリアルで読まれた、とのニュースを聞いた事も有るように思います。亡くした人を思う時に読まれる詩なのでしょうか。 実は、日本語になって歌われているのに全く気づいていなくて、昨日のぴぴんさんのお話は何のことかわからない状態でした。今日の詩を拝見してオフィスで話題にしたところ、「紅白で...新井満が....オペラ歌手が....」と聞かされて驚いていました。浮世離れしすぎていたようです。 歌も聴いてみようと思っています。少年合唱団のは良さそうですね。 でも、淡々と読み上げる声が風の中に広がりふくらみそしてまた静かに戻ってくる、そんな情景が私のイメージになっています。 自然界に身をゆだねるのが恵みであり、叡智である。そうありたいです。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-03 05:28
x
kyara-mamaさん 『グラディエーター』は見ていないのですが、
現実には見たことの無いはずの麦畑が、わたしにも思い浮かびました。 猫じゃらしに陽が当たっている画像なども。 英語版は、練習するとわたしでも暗唱できたほど、 韻とリズムに乗ってスムースにイメージを紡げるのですが、 日本語では「風」に絞ってしまったのが、広く流布する歌としては うまかったと思います。 わたしも、秋川さんの歌う『千の風』と、あれを合唱するひとたち、 あれを聴きに行き涙するひとたちを見ると、気が乱れます。 でも、あのおかげで番組もでき、詩の背景などをわたしも知ることができたし、 あの曲に助けられている人もあるようなので、それはそれ、と思います。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-03 05:41
x
すみごんさん 「すみごん訳」読んできました! その話はそちらで。
" I am the swift uplifting rush of quiet birds in circled flight"は、 わたしも一番困りました。初め、イメージがつかめなくて。 つれあいから 「"uplifting" は、気持ちが持ち上がるのだ」と言われたのと、 「"circling flight" だったら、ただ回っているのだが、 "circled" だったら、誰にされているのか、ということになる」 「"quiet" と、"swift" の対比」ということを言われ、 頭の中に画像ができて、やっと訳しました。 わたしとすると、"swift"を「すっと」と訳せたのが手柄です。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-03 06:32
x
potatoさん わたしは秋川さんの歌で聞くと、「死んで清々した」みたいで、
遺されたひとへの心遣いという感じが薄いと思ってしまいます。 『天声人語』の情報、ありがとうございました、 わたしが見たNHKの番組では、 95年英国のIRAとの闘争で死んだ若者が、親への引用していた話と、 米国では911のメモリアルで朗読されて知られたという話のみでした。 『天声人語』の再終行は、訳したひとが、 この詩の意味がここにあると思って付けた説明でしょうね。 わたしは、この詩の意味はそれだと思わないので、 「そんな説明要らん!」と思いますが... 荒井訳は、歌として聞くと「千の風に 千の風になって」のリフレインが、 強力に記憶に残ります。上手い処理だと思います。 遺族としては、 この歌を聴いて腹が立つ段階と、歌える段階があるような気がします。 ひとりで偲ぶなら「リベラ」版の方がましだし、 詩として読む方が、曲によって感情を決められない分、 もっと自在な力があると、個人的には思います。 わたしも長文書きなので、長いこと自体は苦になりません。 長いとお返事が遅れるかもしれませんが、そこだけご了承を。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-03 06:45
x
せんさん 911以降、何らかの形で耳にされていたようですね。
職場の皆さんの知り方は、この2ヶ月のヒットで、ということですね。 potatoさんへのお返事でも書きましたが、詩で読めるひとは詩で読むと、 苦しい時には苦しいなりに、明るくなって来たらなってきたなりに、 寄り添ってくれるような気がします。
Commented
by
ぴぴん
at 2007-03-03 12:49
x
「リベラ」の歌はここで聞けます。画像も付いて来ますが。
着うたにもなってるらしい... ホントにブームなんだなぁ... http://www.toshiba-emi.co.jp/libera/
|
ファン申請 |
||