by pippinrose カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 最新のコメント
記事ランキング
ブログパーツ
|
2009年 06月 30日
この三月に『新作庭記』を読んだ時、
ヨーロッパ風の幾何学的な木の刈り込みと、日本風の木のつくり方の差について、 文化地理学者のオギュスタン・ベルクが以下のように語っているのが印象的だった。 「私の考えでは両方とも自然を求めていると思います。 ただ自然をどの水準に置くかという問題なのです。(中略) ガリレオが言ったように自然は数学の言葉を使って表現できる。 自然そのものは数学であると。(中略) メタファーとしては、ル・ノートルがそのような幾何学的な つまり数学に頼る形を木に与えています。 でもそれも自然のひとつの表現だろうと私は思います」(p.278) 蜂の巣模様のシャルトル北西塔の床。 その後ある雑誌の記事で、 江戸初期の作庭家・小堀遠州が、それまでの日本庭園には無かった 「刈り込み」という手法を用いて、木で島や海を形作ったのは、 南蛮貿易を通じた西洋の整形式庭園の技法の影響である とされるの知り、意外の念に打たれた。 上野の東京国立博物館・東洋館にあるレストラン窓外の庭園にも、 山に見立てたツツジの大刈り込みがあるが、わたしは何の疑問も無く 「いかにも日本庭園らしいもの」として見ていた。 それに西洋庭園の影響が組み込まれているとは。 思い込みが壊され世界が広がる快感を味わった。 地元の石を使った塀。 オギュスタン・ベルク (Augustin Berque) 1942年 - フランス人 フランス国立社会科学高等研究院教授 文化地理学者。 著書に『空間としての日本文化』『風土の日本』などがある。 アンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre) 1613 - 1700年 フランス人 造園家 ヴェルサイユ宮殿の庭園を設計。 小堀遠州(こぼりえんしゅう) 1579- 1647年 近江小室藩藩主。徳川幕府の作事奉行。 古田織部に茶を習い「奇麗さび」の茶を成す。 織田信長死去の数年前に生まれ、徳川家光による鎖国体制完成の数年後に死去。 京都南禅寺金地院『鶴亀の庭』については、彼が作庭した旨の資料が残っている。 桂離宮の作庭者であるという説は否定された。
by pippinrose
| 2009-06-30 09:56
| 外国
|
Comments(2)
Commented
by
mohariza6 at 2009-07-01 01:13
小堀遠州の日本庭園が、<南蛮貿易を通じた西洋の整形式庭園の技法の影響である>とは、知りませんでしたが、
自然を深く理解する事は、自然の中に、、 <ガリレオが言ったように自然は数学の言葉を使って表現できる。自然そのものは数学であると。>との理解する事に繋がり、 究極的な所では、自然に対する理解・その芸術的な表現には、日本も、西洋も関係無いかも知れません…。 ガウディの建築も、表現方法は、他の表現者とは違っていたかも知れませんが、同じ<自然の英知>の理解でした。 <自然>への理解によって、世界の人間は、<自然への共通意識>を共有しているように思えます。
Commented
by
ぴぴん
at 2009-07-01 11:41
x
moharizaさん お久しぶりです。^_^)
wikipediaによると、彼の直線の使い方や、花壇・芝の使い方にも、 整形式庭園の影響が見て取れるそうです。 明治期に日本文化があっという間に西洋的なものを応用できたのは、 文化の個性を越えた、普遍的な部分の共有があったからだろうと、 わたしは思っています。 ガウディの建築には、彼ならではの力強いリズムがありますね。 東京に「ガウディもどき」を見た時にはがっくりしましたが。 人間がその地の自然の体験を理解しようとし、表現しようとする営みは、 古代から脈々と続いているようですね。
|
ファン申請 |
||