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2010年 10月 15日
疲れ気味のわたし。つれあいをつかまえて話し相手になってもらう。
ぴぴ「相手をうまく否定しおおせたからと言って、 自分が正しいことにはならないね。」 つれ「自分の抱いている怒りは、 相手の問題ではなく、自分の問題。」 日英語チャンポンの会話を、書き言葉に直して記した。
by pippinrose
| 2010-10-15 08:22
| つれあい
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Comments(13)
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幽霊読者
at 2010-10-15 14:43
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うん、怒りは自分のちっぽけな自尊心と闘争心の運動会。
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ぴぴん
at 2010-10-16 08:06
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幽霊読者さん 「運動会」に、こどもっぽい感じがうまいこと出ていますね...
運動会の勝ちにうれしがる自尊心。じつにちっぽけ。
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クミン
at 2010-10-17 17:20
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ぴぴんさん、こんにちは^^。
ご主人、いいいこと仰るわ~。 「自分の抱いている怒りは、 相手の問題ではなく、自分の問題。」 はっと我にかえる言葉ですね。 ↓のチャイナ三姉妹、好調とのこと。 ぴぴんさんがバラからもらった通知表ですね。 私のこの秋の通知表はアヒルさん(数字の2)の行列でした^^;
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ぴぴん
at 2010-10-18 07:51
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クミンさん つれあいにうまく協力を頼めると、
いいことを言ってくれることがあって、助かります。 自分の変わらなさ加減を思えば、 相手を変えられないのなんて分かるはずなのに、 相手の問題にしていてもね... あんなに暑かったのに、薔薇は元気です。 わたしの成績の付け方は甘いかもしれませんけど。 今日の写真のごじゃりあん↑も「うわ〜きれい!」と思ってしまうので。 空気に湿度がなかったこと。 土が軽くて乾くので水やりが頻繁で土温度が下がったこと、 あたりが良かったのかしら... どうもわかりませんが。
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harukob1 at 2010-10-18 11:58
怒りの神、天神様。
怒りを一気に放出する雷神たちの姿を見て、 昔から人々は知らず知らず、平静な気持ちが戻ってくる、 っていいますね。 全部自分の中の問題なのですね。
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ぴぴん
at 2010-10-19 10:30
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はるこさん 雷神は、そう言われているんですね。
エネルギーが放出されるのを見て一緒にガス抜きでしょうか... 怒りも大切な感情と思っていますが、 その強いエネルギーをどう使うかは、自分の中の問題ですね。 下手すると、過去にとらわれた「祟り神」や、 相手に依存した「天の邪鬼」になり果てます。
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aosta
at 2015-04-14 08:17
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ぴぴんさん
この会話、身に染みて痛い。 私のブログにお借りしてもいいでしょうか。 もちろん私の言葉ではなく、お友達(そう書いていいでしょうか)の言葉として。 リンクは考えていません。 ご迷惑でしたら、どうぞ、そう仰ってくださいね。
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aosta
at 2015-04-14 08:19
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会話というのは、「相手をうまく否定しおおせたからと言って、自分が正しいことにはならないね。」
「自分の抱いている怒りは、相手の問題ではなく、自分の問題。」の分部です。
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ぴぴん
at 2015-04-14 08:47
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aostaさん 会話部分の引用、リンクは無しで、どうぞどうぞ。
5年前の会話ですが、わたし自身、今でもふりかえって 気持ちの立て直しに使っています。 aostaさんとはお会いしたことはありませんが、 音楽や、絵画や、修道院のリトリートのことなどなど、 いろいろ学び、楽しませて頂いています。 「お友達」としていただけたらば嬉しいです。^_^)
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aosta
at 2015-04-14 13:59
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ぴぴんさん
先ほどブログを更新いたしましたm(__)m おふたりの会話に助けられました。 振り返る場所、振り返る言葉をありがとうございます。 なんとか軌道修正できそうです。
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ぴぴん
at 2015-04-14 19:23
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aostaさん ブログ記事拝読しました。
私はこの記事を書いた前後の数年間、 「赦し」について考え続けていて、 「forgivemess/赦し」という記事を、 2009年の1月にもこのブログで書いています。 「赦すためには、怒り憤る権利を放棄せねばならない」 という、心理学者エンライトの定義に納得しました。 ある場面で、怒る権利を放棄するかどうかは本人の問題で、 他者が求めるものではありません。また、 わたしがこの権利を完全に放棄しているわけでもありません。 でも、赦すところから始められる場面は、 思いの他多いようにも感じています。 aostaさんに取り上げていただいたことで、 改めてこんなことを思いました。 ありがとうございました。
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aosta
at 2015-04-14 21:07
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ぴぴんさん
今回の私の記事は、ピピンさんの深い思いに対し、あさはかな内容のものであったと、申し訳なく思います。 私は、ぴぴんさんのように物事を深く突き詰めて考えることより、ふわふわとクラゲのように漂っていることの方が多く、今回ぴぴんさんに「お友達」書くことを了解していただけただけで 本当に感謝です。 今回のブログとは全く関係ありませんが、私は最近アーミッシュの赦し(同じ題名の本が出ています)について考えることがあります。いずれこの本を読みたいと思っていますが、今はまだ自分で考えるときのような気がします。本を読めば、それだけでわかった様な気持ちになってしまうことが怖いのです。 私はよく穏やかな人といわれることが多いのですが、表面的にはともかく、ほんとうは執念深くておよそ赦しからは遠い人間です。同時に「自分の抱いている怒りは、相手の問題ではなく、自分の問題」はこれからもずっと抱え続けなければならない問題なのだと思っています。
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ぴぴん
at 2015-04-15 08:00
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aostaさん 思いは短い言葉のやりとりの向こうにあるもので、
この記事のみで伝えようとしたところは、 がっちり受けて頂いていると感じます。 昨日書いた、「forgiveness/赦し」の記事は、 『アーミッシュの赦し』の紹介です。 2009年1月26日と27日に書いています。 pippins.exblog.jp/9251863/ pippins.exblog.jp/9256683/ その後2月5日に、同書で引用されていた、エンライトの 『ゆるしの選択-怒りから解放されるために』の記事も書いています。 pippins.exblog.jp/9297542/ 本を読んで分かったような気持ちになったとしても、 実際の自分の行動がそれを裏切り、 分かったような気持ちになっていただけの自分に直面したりするのが、 読書の限界ではあります。^_^;) それでも、自分の範囲でしか考えられないことが、 読書によって視野が広がり、思考の限界が広がることがあり、 それはやはり行動にも影響するので、 読みながら考えることがわたしは好きです。^_^)
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