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2011年 02月 18日
「気力が消えた。 燃え続けていた心の火がどこかへ行った。
ほとんど病気の疲れた身体が何より気がかり。 余生は悩み抜きで過ごしたい」 とにかくフィリポスはそう言った。 「今夜はダイスを振ってゲームをする。 楽しんでやる。乗って来たぞ。 テーブル一杯にバラを撒け! アンチオコス大王が マグネシアで負けたからって、それがどうした? (後略) 二十世紀ギリシャの詩人カヴァフィスの、『マグネシアの戦い』の前半。 紀元前三世紀、バルカン半島マケドニアのピリッポス五世は、 西方から勢力を伸ばし来るローマに抗して戦っていたが、 紀元前197年に決定的敗戦を喫した。 多額の賠償金を負い、息子は人質になる。 シリア地方を本拠に領土拡大をしていたアンティオコス3世は、 紀元前192年からローマ・シリア戦争を戦う。 二年後、アンティオコスは「マグネシアの戦い」に大敗。 以後、急速に勢力を失う。 カヴァフィスのこの詩は、 アンティオコス軍の全滅を聞いた夜の、 ピリッポスの姿を描写している。 ピリッポスはその時ローマ側についていたが、 ローマに対するアンティオコスの敗戦は、 ローマに対するピリッポスの敗戦の 再現であり、だめ押しでもある。 王として抱いた志の、最後の残り火の消滅に会い、 胸中の冷暗を打ち消すように音楽と明かりを命じ、 卓一杯に薔薇を撒かせる。 この詩に対し、 マグネシアの戦いは十二月なので薔薇はあり得ないと、 指摘した植物学者がいた。 詩人は次のように反論した。 「それは歴史的にありうることです。 王は金を自由に使えたので、 冬でも花を手に入れる手段は簡単でした。 それとは別ですが、バラの花はエジプトの冬の輸出品です。 私は、冬にはエジプトからイタリアへ花が輸出されていたことを知っています。 紀元前一世紀になるとイタリアは農業が進歩して 他国に頼らず自国産のrosa hibernicae [冬のバラ]がありました」 エジプト生まれの詩人の知識と、歴史的な事実はさておき、 王を王たらしめる炎の滅した夜に身をゆだねる卓を、 棺のように埋める花には、「冬の薔薇」がふさわしい と、言ってみることもできる気がする。 詩の引用は 『カヴァフィス全詩集』中井久夫訳 みすず書房 (p.102-103) 詩人の言葉は『カヴァフィス 詩と生涯』ロバート・リデル著 中井久夫訳 みすず書房 (p.165) コンスタンディノス・カヴァフィス(Κωνσταντίνος Καβάφης) 1863- 1933年。 エジプト、アレキサンドリア生まれのギリシャ人。 アレキサンドリアの灌漑局官吏 詩人。
by pippinrose
| 2011-02-18 08:33
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