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2011年 07月 18日
原発事故後の四月。
ソビエト連邦の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの 『サクリファイス』のDVDを注文した。 実際にそれを観られたのは、ようやく六月になってからだったが。 『サクリファイス』を観るのはこれが二度目だ。 1986年に作品完成。 同年4月、チェルノブイリ事故があり、 5月、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞。 12月、監督が亡くなり遺作となった。 翌年に日本で上映された時、映画館に観に行った。 * * * * 舞台はスウェーデンの人里離れた海辺の家。 日光も草木の勢いも弱い、寂しい土地だ。 引退した舞台俳優の誕生日を祝うために、 家族四人と、友人の医師、郵便配達の男が集う。 女性がふたり、誕生会の準備を手伝っている。 並んだワイングラスがチリチリと鳴り出し、 続いて、空気を切り裂く戦闘機の飛行音。 振動で棚から落ちるミルク瓶。 テレビが核戦争の勃発を伝える。 「動いてはならぬ。全欧州に安全な土地はどこにもない」と。 やがて通信が途絶する。 パニックに陥る者。酒を飲む者。沈みこむ者。 眠っているこどもを起こすまいとする者。 白夜の薄明かりの中、重く緊張した時間が流れてゆく。 主人公の男は神に祈る。 「この恐ろしき世の我らを救いたまえ。 私はすべてを捧げます。 約束したことのすべてを果たします」と。 祈りを捧げた彼の元に、 すべて終わらせる唯一の方法があると 教えに来る者があり、彼はそれを実行する。 祈りが聞き届けられた主人公は、 神との約束を果たすために行動を起こす。 * * * * この作品に限らず、タルコフスキーの映画は密度が濃くて、 日常生活の場である自宅で観るにはそぐわない。 心構えをして映画館に行って観て戻る性質のものだ。 わたしがこの映画を一度しか観ていないのはそのためだ。 しかし、原発事故後のあの異様な緊張感に洗われた居間は、 この映画があっておかしくない場所になっていた。 絶望。悔恨。強い感情に圧倒されての混乱。 決定的に失われるそれまでの秩序。 自分を越えたものに動かされる体験。 外界が回復しても内界に刻まれたままの現実。 映画の中で、バッハの『マタイ受難曲』のアリア 「憐れみたまえ、わが神よ」が流れる。 震災直後、わたしはCDでこの曲を聴こうとしたのだが、 前奏を聴いただけで感情が揺さぶられて聴き通せなかった。 今は、この曲を聴けるようになっている。 そのようにして自分の回復を認められる。 そしてこの映画は再び、わたしにとって、 居間で見るものではなくなるかもしれない。 その方が健康的だと思う。 四半世紀前の記憶は、 大切に思い返し続けて来た中でほぼ正確だったが、 唯一、最後の場面で、 木が芽吹いたように思っていたのが、そうではなかった。 しかしなぜそれを「芽吹いた」と記憶したのかは、 改めて理解できた。 あるひとにとってはそれは芽吹きではなく、 あるひとにとってはそれは芽吹きだろう。 見るひとによって読み解きが変わるだろうこの映画の性質を、 最後の場面を確かめながら改めて思った。 「憐れみたまえ、わが神よ」 独唱者:ユリア・ハマリ アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー (Андрей Арсеньевич Тарковский) 1932年 - 86年 ソビエト連邦時代のロシア人。映画監督。 1984年に亡命。2年後パリで客死。映画大学の卒業制作作品を含めて、 『惑星ソラリス』『ストーカー』『ノスタルジア』など8作品を監督。 2007年の『ぴぴん日記』でも、タルコフスキーについて書いた。
by pippinrose
| 2011-07-18 12:23
| 視覚
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Comments(6)
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mohariza6 at 2011-07-18 14:18
『サクリファイス』と『アンドレイ・ルブリョフ』とは、タルコフスキー映画で観てないもので、いつか観たいと思っています。
人類の終末を描いた遺作で、福島原発問題に遭遇し、今観るべき問題作かも知れません・・・。
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sakillus at 2011-07-19 07:59
ぴぴんさん、お久しぶりです。
今日は雨で幾分涼しいですが、いよいよ暑くなってきましたね。 さて、本題ですが、「サクリファイス」という単語には「捧げる、犠牲にする」という意味がありますね。 わたしはこの映画を観ていないのですが、おそらく主人公はそのために身を削るようなことをして食い止めた。 そこで知りたいのですが、監督はそのことをどのように描いていますか?決して否定的には描いていないでしょうね? 似たようなことを思い浮かべると、グスコーブドリ。 映画の物語は複雑でそう簡単には答えは出ていないのかどうか?わかりませんが、さしつかえない範囲で教えていただけるとありがたいです。結果が知りたいわけではありません。 わたしにはおそらく自分を「犠牲にしてまで」何かをするという感覚はほとんど持っていないのです。
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ぴぴん
at 2011-07-19 08:33
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moharizaさん 『ノスタルジア』に感銘を受けておられたならば、
『サクリファイス』もおもしろいと思います。 重くて暗くて観終えて寂しくなる映画で、 「人類の終末を描いた」「今観るべき」と言えるかは、 観るひとによるかと思いますが、 わたしにとっては、浄化作用があります。
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ぴぴん
at 2011-07-19 09:39
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sakiさん 「野花 咲き続けて欲しい」のご案内をいただきましたが、
音沙汰無しで失礼しました。 あの頃はボランティアに出たりして、ご連絡する余裕がありませんでした。 御盛会にて、義援金もたくさん集まったようで、何よりでした。 sakiさんのお尋ねになりたいことがよく分からないので、 逐語的に応えます。 ①記事に書いた通り、彼の祈りは「身を削る」祈りです。 しかし彼の行為が「身を削るようなこと」だったかどうかは、 わたしには不明です。 ②どのように描くと「否定的」(肯定的)になるかがよく分かりません。 わたし自身は、否定・肯定ということを思わずに観ていましたし、 今改めて自分に問うても、どちらだか分かりません。 ③グスコーブドリの感触とは、わたしには異質です。 ④物語の流れそのものは至極単純です。 ⑤お尋ねになっている「答え」とは、 「身を削るようなことをするのは否定的ではない」という 「答え」でしょうか? そうだとすると、①②で書いたとおり、わたしには不明です。 ⑥「犠牲」という言葉の捉え方ですかね... もう少し質問の焦点を絞っていただくと、 もう少しお応えできるかもしれません。
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sakillus at 2011-07-19 10:23
ぴぴんさん、どうもありがとうございます。
まさにその「野花 咲き続けて欲しい」との関連でわたしは質問しました。 ヴェロニカさんのそのイヴェントでの態度はサクリファイスでした。 でも、わたしはそうはできなかったし、べつにできないことを否定しているわけでもありません。 サクリファイスは自発的なものであり、他人に強要するものではないからです。 監督の否定的か肯定的かのことはどちらでもかまわないのです。 ただ、身を削るようなことに対しての監督の想いを知りたかったのです。映画の題名にまでした言葉ですから、なにかあるのかなとおもったのです。
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ぴぴん
at 2011-07-20 07:55
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sakiさん 映画の題名がヴェロニカさんの態度を思い出させ、
sakiさんとしてそこに思うところがあってコメントされた、 のは分かりました。 彼女が自身の態度を、「捧げる」「犠牲にする」「サクリファイス」と 評されて違和感がないのかは、 このみっつの日本語単語と“sacrifice”(英) または “Opfer”(独)との 違いを含めて、どうなのかしら、とは思います。 sakiさんの思いとは別に、 「犠牲」という言葉の捉え方ですが、 戦争や災害や事故の「犠牲」と言う場合に、 そのひとたちが自発的にそうなるわけではないように、 この映画の場合も、自発的とか自分にできるできないということではなく、 否応なくそこに運ばれてしまってのことです。 そしてこの映画の場合、そこで発現しているのは、 狂気と区別のつきにくいようなものです。 映画の題名にまでした言葉ですから、 もちろん、それなりの意味があります。 まぁ、興味が深くなったらば、まずは映画を観てみてください。
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