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2014年 03月 11日
わたしの場合、
二年半で何かが移り変わり、 身動きが取れるようになった。 「風化」を言うひともいるが、 わたし自身は「癒えて来た」という感覚。 「風化」というと、 そのものが消えてなくなる。 「癒える」というのは、 痛みに支配される度合いは減るが、 跡はくっきりと刻印されていて、 何かがそこに触れると記憶が蘇ったり、 それが自分の人生に与えたものを思ったりする。 * * * * 今日はお天気が三年前とよく似ていると、 午前中にふと気づいた時に、 心がざわめいた。 三年前と同じように掃除洗濯をし、 ベランダの植物の芽吹きを眺めた。 一年目は日曜日で、追悼の会に参加していた。 二年目は出勤日で、地震発生時刻に職場でひとり黙祷した。 今年は初めて東京の追悼式をテレビで見て、 発生時刻直前に君が代を歌う式次第に驚いた。 あの日への思いの向け方、追悼の仕方が、 わたしとはまったく違うひとたちが居るのだと知った。 * * * * 現地や避難先のさまと引き比べたその整い方に、 胸に抱える国策原発への憤りや政治家への嫌悪を刺激され、 わたしの痛みにそのように触れるものを、 来年以降のこの日には避けねばと思う。 最近、視力を失った知人が、 「自分に何ができるかと考えて、 人々の希望になることはできると思った」と語っていた。 一日の終わりに、 彼女の言葉を自分に問いかけながら、 しばし黙想することにする。
by pippinrose
| 2014-03-11 19:13
| 震災
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