by pippinrose カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 最新のコメント
記事ランキング
ブログパーツ
|
2015年 02月 25日
帰宅後、人材養成講座の級友が紹介してくれた本、
『語り・物語・精神療法』を読み始めた。 研修中に池底の泥が舞うようにモヤモヤとしていたことが、 この本の中に「このこと」として文字に記されているようで、 すっと糸が引けたように「わかる」と感じた。 たとえば次のような文。 インスピレーションは言葉とともにやってきます。 俳句や短歌でも「感じたまま」を言葉に置き換えるのではなく、 あれこれと言葉を紡ぐうちに、不意に 「感じていること」が姿をあらわすのです。(p.10) 描画について述べますと、 そのイメージ表現は依然として、 治療者とやりとりされた言葉によって掘り起こされ、 言葉によって耕された土壌から生まれ出てきたものなのです。 (p.22) わたしが自分の中からあふれ出る 言葉やイメージや体感のうちに孤独になるのは、 ひととのやりとりの中であふれ出したものの勢いによって、 ひとの姿が見えなくなるからだ。 見えなくなってもそこにいると確信し、 あふれ出しののちに再度その姿を探し見出せば、 孤独は癒える。 あふれ出るものを言葉にしているうちに、 言葉にならない空白がくっきりと浮かび上がって、 息が詰まることがある。 そこからは身を引いて、 離れて見るしかないような。 われわれも患者さんも、たまに海に来ることはあっても、 陸地でしか住めない生き物なのです。(中略) 陸でもなく、かといって海でもない浜辺での交流が、 まさに精神療法の姿なのでしょう。(p.24) 飯森眞喜雄「統合失調、詩歌、母語 — 精神療法における言葉」 (北山修、黒木俊秀編著『語り・物語・精神療法』日本評論社、2004年)。
by pippinrose
| 2015-02-25 10:15
| 活字
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||